読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

nikki

(できるだけ)写真を載せずに書くところ

信仰って

天皇皇后両陛下が戦争戦没者慰霊のために、去年に引きつづき、先日フィリピンを訪問されました。

報道を見ていて、戦争を生々しく記憶されている戦中世代としての、ご自分の責任、義務感のような思いをひしひしとかんじました。

両陛下の祈りは本物であるとおもいます。ご高齢を押しての慰問の旅は、並大抵の決意では実行されません。

 

そして、その姿を目の当たりにした(主に)日本人の反応に、わたしは驚かされます。

戦争を経験している世代にもかかわらず、「ありがたい」「もったいない」と頭を下げています。

そこに、戦争を起こした為政者側(の子孫)に対する恨みなどは、微塵もありません。

「戦死した家族、仲間もよろこんでいるとおもいます」と口々に言っていました。

 

なぜなのかなとかんがえました。

 

「日本ではやはり天皇は特別な存在である、神、あるいは、神を祀る斎主、神聖な存在としてとらえられている」

というのはあるとおもいます。

 

天皇皇后両陛下の前で頭を垂れるひとびとを見ていて、これは信仰だなあ、とおもいました。

一神教の神を信じるのとはちがう信仰の姿なのです。

両陛下の真摯な祈りや行動に対して、自分の内から自然に湧いてきたものではないか。

 

戦前生まれなら、小さいころから「神」として叩きこまれていますし、理性?ではなかなか普通の人間とはおもえないのかもしれません。

ただ、慰問が形式的になされているのであれば、あれほどのひとびとが心を打たれないだろうな、ともおもいます。

信仰が生まれる要因は、やはり、慕われるひとの行動にあるのではないでしょうか。

(その意味で、近代天皇制は国民にとってしょっぱなから「強要されたもの」であったのは間違いないとかんがえます)

 

広告を非表示にする